テレビをつけると学校のいじめと履修不足の問題ばかりで本当に疲れます。
国会では教育基本法を改正する論議があり、それと時を同じくして露見した教育現場の実態。
要は今の教師、先生方は生徒同士のもめごとには目を瞑り、お受験中心の授業で人間教育なんてクソくらえってって事ではないのだろうか?。
民主党の対案に心の教育が入っていたが、もっと何を具体的に教え、現場の教師はどう対応して行くかを考えた上で内容のあるものをぜひ、盛り込んで欲しい。
心の教育と言えば私にはある体験と思い出がある。
私は中学の時にいじめが原因である生徒と大喧嘩をやらかし、原因は相手にあるにも関らず、やり過ぎだという事で、逆にこっぴどく叱られて、教師や大人を信じられなくなり、その当時ではまだ珍しかった登校拒否を起した経験がある。
履修単位が不足し、進級も危うくなり、学校では校長、教頭を始め、最後は市の教育委員会からも担任や学年主任の先生方に私の問題でプレッシャーが与えられていたらしい。
担任は神経性の潰瘍で入院するは、そりゃ大変だったようだ。
その時に別のクラスの担任であった、ある1人の教師が、俺にあいつを預けて欲しい、何かあったら俺が責任を取ると言って、ある時から家庭訪問に訪れ始めた。
その教師はいわゆる生活指導の体育教師で少し怖がられている存在であった。
私にして見れば、とうとう切り札を出したなという感じで、それでも学校に行くつもりは毛頭なかった。
その教師はクラブ活動の指導を終えてから毎夜訪問してきた。
ある時に、その教師がこう切り出した。
「おまえの担任は結構、気の小さいやつでおまえの一件で患ってるよ。」
「学年主任や他の先生は対面や上の事を気にして右往左往している。」
「そう、お前の言うようにロクでもないやつらかも知れないな。」
「でも、俺にはそんな事はどうでもいい、ただ、このままではおまえのために絶対にならないし、バカな教師や大人ばっかりではないという事を分かって欲しいと思う。」こう私に力説をした。
そして、「他のやつらはどうでもいいから、俺だけを信用しろ、とにかく登校だけはして、何かあったら直ぐ俺のところに来い、嫌になったら途中で帰ってもいい。」そう言われたのである。
私はその迫力、熱意のようなものに驚いたが、それからよく考え抜いてから、この教師に賭けてみようと思うようになった。
数日後から、私は登校を再会し、喧嘩した相手とは関係がギクシャクしたままであったが、何とか終業式を向かえ、進級する事ができた。
そして、その翌年にはその教師が担任になった。
その教師は学級経営というある理念を持っており、いじめ、仲間はずれ、極端な
学習の遅れなどを、クラスでは生徒を班単位に活動させる事によって連帯感を持たせ、いじめなどを絶対に作らないという
やり方を徹底していた。
班日誌というものがあり、班の皆に回して必ず持ち帰って何かを書かせる。
クラスの問題点などを時に個人的に書かせて、教師が
チェックし、放課後のホームルームで取り上げるのである。
授業が終ってからのホームルームは1時間を超える事はざらにあり、学習の遅れのある生徒、いじめをしている生徒、いじめられている生徒、事あるごとにホームルームで議題化して、議論、協議して結果と方針を打ち出す。
成績優秀で
スポーツ万能、それでも身勝手であれば、徹底的にやられる、自尊心もくそもない、でもちゃんとフォローがある。
相手に反省と改善が見られたら、皆が拍手して感謝の心で誉める。
そういう議題のない時には教師の失敗談や経験談をユーモアたっぷりに聞かせてもくれた。
ホームルームが長くなるのでクラブに行けない、塾に行けなくなる日もある。
親がよく苦情を言ってきたが、その教師は全く意に介さない。
「こちらの方が○○君には重要ですから塾はやめさせてください。」
今だったら問題になっているだろう。
そのくせ、その教師はクラブ活動だけは奨励していた。
上下の人間関係、礼節、試練、達成感を身に付ける場として奨励をしていた。
私もクラブ活動をする事を進められ、あるクラブに入部した。
私も始めの頃はそのホームルームが嫌だったが、だんだんその時間が楽しく思えるようになってきたのである。
テスト前になると班単位で、それまでに受けた授業の範囲で班の中で
比較して優秀な生徒が成績の悪い生徒を教える。
クラス委員などは絶対に人気投票や中傷的な投票になるからという理由で必ず立候補させるという状態を作った。
クラスに連帯感と責任感が生まれているので、必ず立候補者が出る。
スポーツ大会や文化祭の出し物では学年トップ、テストの平均点も学年トップ、その頃には学校に行くのが楽しい上に、
卒業するのが嫌なぐらいの気持ちに皆がなっていたのである。
そして、この教師は内申書を伏せる事にいつも異議を唱え、生徒にはその時期には概略を伝えてくれるというやり方を徹底していた。
大きなトラウマともなる問題を抱えていた私にこの教師はそれを忘れてしまうほどの大きな影響を与えてくれたのである。
卒業後もその教師が私の住まいに近い学校に転勤されたので、私は運良く時々会う機会に恵まれた。
社会人になった頃に「あの当時は俺も28歳、無茶して暴走してきたが、よくあそこまでできたものだと思う事がある。」
「今の
子供はあの時と同じようには接する事が難しい。」
喫煙をしていた生徒に、先生も学校の職員室で喫煙をしている。同じ人間なのに人には言えないだろうとやりこまれ、それらなら俺がやめたら、やめるかという約束を取り付け、禁煙しているとこぼしていた。
そして、「俺たちのやり方は独創的過ぎて、上は常にヒヤヒヤもの、俺は出世には無縁、ただの一教師だ。」と言っていた事を今も憶えている。
悪い時には徹底的に叱る、時には制裁もする。
しかし、自分に非があれば生徒の前で深々と謝る。
生徒を守るためならば親でも、他の大人でも容赦なく突っかかる。
生徒同士の関り合い、助け合いから連帯感を生み、いじめ、不正は排除する。
私が生徒として関っていたその現場には紛れもなく人と人との魂がぶつかり合う心の教育現場があった。
少し今なら行き過ぎの面もあるかも知れないが、今だからこそ、こういう徹底した管理的なやり方がいいのかも知れない。
別にそれで生徒が閉塞感を持っていた訳ではない、反って学校生活に喜びや生き甲斐さへも感じていたはずである。
その教師のやり方、姿勢はやはり教育委員会などの上としてはやり難かったのであろう。
今も昔もそのあたりは旧態依然であり、全く変わっていないはずである。
その後、その教師は教頭や校長にもならず、そして、教育委員会にも行かずに、市のスポーツ施設で細々と指導員として働いておられたが、今から10年ほど前に病に倒れ、夭折された。
葬儀には弔問者の長蛇の列ができ、まるで有名
芸能人の葬儀のようであった。
その仕事振り、人柄への最大の感謝と評価である。
この教師との縁は私自身の人間形成という点で大きく影響を受け、本当に深い恩義を私は今も感じている。
夜回り先生という立派な方がおられるが、あの方に通じるものがあり私の無二の恩師である。
今は親の立場として、もう少し安心のできる教育現場を再建し、そして、必ず心の教育をもっと重視して具体的に中身のある事を行って欲しいと思う。
最近は子供たちもかわいそう、現場の教師たちもかわいそうな気がしてならない。